市杵嶋姫命 句句廼知命 金山彦命 罔象女命
金沢市柳橋町ホ38
市杵嶋神社の由緒
神社の創立年代は、正しくは分かりませんが、町名の由来にも書いてありますように、親鸞聖人が越後の国へ下向された頃建永2年の鎌倉時代初期(西暦1207年)には、立派な集落が存在しており、それ以前の創立と言えます。
春祭りを川祭りとも言う
柳橋川以北から森下川以南に挟まれる一帯では、4月8日に行われる春祭りを《川祭り》とも言います。
伝わる話では、この地方の、ほぼ1万石の領主であった井上源左衛門が、百坂より、半里ばかり東方の、山の上で三方に砦を築き、東方は高峰に連なり、南・北・西は深谷に望んでいる(現在の御屋敷城址跡)、租税の取立てが大変厳しかったので、領民は怒り、旧暦3月8日に一揆を起こして城を包囲して陥れた。
以後これを記念して、旧暦3月8日を川祭りとし、この地方の人々は、休業して祝日として一斉に春祭りを行い祝ったそうです。(暦が新暦に変わってからは、4月8日に改めた)
町名の由来
柳橋町の町名の起こりは、言い伝によると、親鸞聖人が越後下向の時、京都から、お后の玉日姫(たまひのひめ)が後を慕って、この地まで、逃げてこられたが、その時川を渡る橋が無く、ただ一本の大きな柳の木があった。
姫は「柳に霊あれば川を渡して欲しい」と祈ったところ、翌朝には、柳の木は自然に倒伏して橋となっていた。
それ以来「柳橋」と言う地名になったそうです。
なお、無事越後に着かれた、玉日姫は、後に使いをよこし、京都で人気の団子の秘法を授けられたという。
これが、今でも伝えられる柳橋団子の始まりです。
参勤交代の時代は賑わい、旅人は名物の柳橋団子を食し名物となった。
しかし鉄道が開通してから、時代の移り変わりとともに、寂れるようになった。
昭和30年代には、金沢駅で販売されていたと、言われています。
松本 昌篤(松尾神社累代社家松本)
076-252-2381